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執筆者の写真クライストチャーチ倉敷

2020.4.19 久松 求牧師「我々に災いは臨みません」

ウッドロフ先生からの励ましの声明文の最初のテーマに、「危機の間での私達の姿勢」と、書かれていました。その中で、「私たちが神の指示を受け入れ、それを実行したか、それが重要だ」と、ウッドロフ先生がおっしゃっていました。それは、もっと言いかえるならば、私たちがいつも聞いている「聞いて、従う。」それが重要です。神様の指示とはいったい何でしょうか?又、実行するとは、具体的に私にとって、あなたにとって、又、あなたの家族にとって今、何でしょうか?先日、木村主任牧師から皆さんに手紙を御配りしました。「主にある兄弟姉妹へ」という手紙です。

ペテロの第一の手紙1章4節~7節「あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試練で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。」木村先生がこの御言葉を通して、皆さんに励ましを送られました。試練があると書いています。しかしその中で、私たちは大いに喜んでいると言っています。試練の中で大いに喜ぶ事が出来る人たちが、この地上の中におられるでしょうか。私たちの現状の中、周りを見る時、テレビをつける時、話を聞く時、職場に行く時、学校が閉鎖されて友達に会えない時、私たちが大いに喜ぶ事が出来るのは、本当に幸いな事です。「何も出来ない、つまらない。」、もちろん肉的にはそういう事もあるかも知れません。でもその中で喜びなさい。その中で成熟しなさいと、木村先生はおっしゃいました。私たちの信仰がテストされているのです。その中で強められ、成熟しなさい。そして又、皆さんに言いたいのは、私たちは礼拝を今ここで行っています。又、YouTubeでも配信して行っています。又、玄関先を見てもらったら、私たちクライストチャーチでの、礼拝の様々な規定が書かれています。窓も開けています。又、近所の方にも久松長老が声をかけて下さって、色んな配慮があります。しかし私たちは、礼拝を行う事を止めてはなりません。ダビデは歌っています。

詩篇34編1節~3節「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」2節「わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。」ダビデは歌っています。私はどんな時も、王に殺されそうになった時も、部下に裏切られそうになった時も、妻が自分を見捨てた時も、又、神様が私から遠ざかっているように思える時であっても、ダビデは、「わたしは常に主をほめたたえる。」ですからキリストにある全ての愛する兄弟姉妹、礼拝する事を止めてはいけません。それは儀式ではありません。神への心からのいけにえを、毎日、絶えず、絶えず、あなたの家庭の中で、職場の中で、絶えず私たちは捧げなくてはならないのです。この場所だけではありません。ダビデはそう歌っています。だから私たちの礼拝が衰退し、後退する事、衰弱する事は、決してあってはなりません。あなたの神への礼拝の姿勢が、衰弱するような事があってはなりません。どんな状況、どんな状態、又、どんな場所であろうと、決して弱まってはなりません。イエス様の言葉に耳を傾けて下さい。

マタイによる福音書18章20節「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」もう一度見て下さい。「ふたりまたは三人が、わたしの名」、イエス様の御名によって集まるその場所に、私もその中にいるのである。画面の向こうにおられる兄弟姉妹、又、今ここに集まっている兄弟姉妹、私たちはイエス・キリストの名によって、ふたり、三人が、ここに集まる時、イエス様もその中におられる。そこに主が共におられます。これ程嬉しい事、これ程安全、安心な事はないです。経済は崩壊します。イザヤ書の実現が今、私たちの目の前に起きてきています。その現実が、リアルに私たちの目の前で、今見えます。その中で私たちの礼拝を行う事を止めてはいけません。イエス様の名によって集まる所、そこに主がおられるのです。主がおられるという宣言をして下さい。神が共におられないなら、私たちは、どの様にして歩むのでしょうか?イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。」と、言われました。それがなくて、どの様にして私たちはこの暗闇の危機の中を、正しく歩く事が出来るのですか?決して出来ません。私には主が共におられるから、私は災いを恐れません。今日私たちはもう一度確認したいです。私たちの立ち位置、私たちの今受けている恵みを。へブル書に、こう書いています。パウロが民に言いました。「今日神が語られ、御声を聞いたなら、あなたの心を頑なにしてはいけません。」頑なという意味は、意地を張って、自分の主張、態度を変えない様の事です。それは私であり、又、あなたです。私たち人間は非常に頑なです。この頑なの漢字は、頑固の頑です。それは私であり、あなたです。神の言葉が来ているにもかかわらず、それを見ない、無視している。「私ではない!」あなたです。皆さん、神様が今日あなたに語られる事、又、今まで語られてきた事、私たちは非常な謙遜さをもって、神様の言葉に耳を傾けて下さい。あなたは聞いているようで、決して聞いていません。そこから入っては来ています。それは聞いているのではないです。私たちが心にとめ、今、私たちがこの中で何をするのか、注意する必要があります。パウロはこの言葉を兄弟たちに向けて発しました。「あなたたちは、神の言葉を聞いたなら、心を変えなさい、態度を改めなさい、入れ替わりなさい、方向転換しなさい。」それはキリスト者に向けて語られたのです。「兄弟たちよ、気を付けなさい。悪い心を抱いて、神から離れる者があるかも知れない。」と、パウロは言っています。警告しています。だから皆さん、私たちは意地をはる事、態度を変えない事、プンプンとしている事、それを今、放棄しなければなりません。神の御声が来る時、もちろん自分の主張したい事はあるのです。私もあります。けれども、「はい、分かりました!」その時に神様は、あなたを祝福して下さると聖書に書いてあります。神様は、いけにえや燔祭、形のものは何も喜ばれません。あなたの心から出る素直ないけにえを、神は受け取って下さるのです。

誰が神の声を聞いたのに背いたのですか?それは、「モーセに率いられて、エジプトをやっと奴隷から解放されて出て来た全ての人々ではなかったのか」と、言っています。今日は聖書を通して、出エジプト記をもう一度皆さんと見ていきたいと思います。それは非常に、今大事な事だと私は思っています。聖書の歴史は私たちの歴史です。私たちが失敗し、同じ過ちを踏まないように、犯さないように、神は警告しておられます。ウッドロフ先生は、エジプトを脱出したイスラエルの人たちに対して、こういう言葉を言っていました。彼らは40年の間、神様の業を見ました。神が恐ろしい事をされました。神が奇跡をされました。それを彼らは目で見ました。「イスラエルの神は素晴らしい!」と、彼らは見て、感じておきながら、彼らは神の名、イスラエルを担っていたにもかかわらず、一度も神様の本質を現わさなかったと言っています。皆さんだから、さっき言ったように、聞いてはいるけど、心が変わっていなかったら意味がないです。あなたの中にどれだけ神の言葉があっても、心が変わっていなかったら、本当にそれは残念な事です。「彼らは学ばなかった」と、言っています。神の道を悟りませんでした。悟ろうとしなかったのです。ですから今日、もう一度、神の人よ、私も含めて、皆さん神の人です。イスラエルよ、キリストの身体である皆さん、横に座っておられる方、クライスト・チャーチの愛する兄弟姉妹、おじいちゃん、おばあちゃん、子供たち、学生たち、若者たち、もう一度私たちの、神様からいただいている立ち位置、あなたが受けている立ち位置を再確認しましょう。それは大事な事です。聖書の歴史を見て、私たちは学んで成熟していきましょう。

出エジプト記の12章は、過ぎ越しの事について書かれていますけれども、イスラエル、神の民は、エジプトで捕虜にされて、厳しい労働を課せられていました。神は指導者モーセに、イスラエルの民を解放する使命を与えられました。そのモーセを通して、神様の命令に従わないエジプトの王パロに、神は10の災いを下されました。出エジプト記12章1節~「主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、『この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。』この月というのは、3月中旬から4月中旬だと言われています。一年で最も重要な月としたと言っています。そして3節は、「あなたがたはイスラエルの全会衆に、この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取りなさい。」家族ごとに、毎年小羊を一頭用意しなさいと言っています。5節「小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。」その小羊は、傷のないものでなければなりません。創世記を見たら分かりますけども、それは最初の捧げものです。アベルとカインの捧げものです。アベルは最も良いものを神に捧げました。ですからこの小羊は、傷のないものでなければなりません。適当な捧げものをしてはいけないという事です。足が欠けていたり、目がつぶれていたり、神様の前に捧げるものは、最も良きものでなければなりません。6節「そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。」十日までに用意し、十四日の夕方に小羊をほふりなさい。ほふるという事は、身体を切って、バラバラにするという事です。だからイスラエルの民たちは、その家ごとに、それぞれ小羊を用意して、十四日になると小羊をほふりました。そして7節をもう一度見て下さい。ここは本当に今回重要な所です。「その血を取り、」小羊をほふった時に流れる血、「その血を集めて置き、家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗りなさい。」すごい事です。玄関の戸に、その血を全部塗ったのです。8節「そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。」9節「生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。」10節「朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。12節「その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。今夜わたしはエジプトをめぐる。」なぜならモーセを通して、イスラエルの民を解放しようと神様は計画しておられましたけども、エジプトの王は、それを全部拒みました。だから神様は、十の災いの最後の災いをエジプトにされる時、それは恐ろしい事であり、それは神の裁きであり、「今から私はエジプトをめぐり、エジプトの長男を、そして家畜のういごも全て殺します。」と、神様はおっしゃいました。そして13節「その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。」神様の裁きが真夜中に来ました。そしてエジプトの地を神の裁きがめぐって来ます。そしてその神様の裁きが家々の前に立った時に、その血を見て、神は小羊の血が塗られてある家と、塗られていない家を見て、その中に入るか入らないかを決めました。門柱に、小羊の血が塗っていない家の中には、神の裁きが入りました。エジプト人の家です。それは神を知らない人、神を認めない人、神に心を向けない人、その様にエジプトでは、母の泣き叫ぶ声、わめき声が、一斉に上がりました。パロの息子も打たれました。全ての家畜のういごも打たれました。皆さん、ういごの原則を学びましたけど、ういごとは、私たちの力です。それを神は打ち砕かれたのです。神々は今、打ち砕かれています。だから皆さん今日、この所を私は言いたい、「わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越します。」それを見て神様の裁きは過ぎ越します。でも、塗られていない家には、神の裁きが入ります。この門柱に血が塗っている事、それはつまりあなたがイエス様の血潮をあなたは受け入れました。信じました。イエスの血によって、私たちは救われました。神は私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子イエス・キリストの血によって、私たちを神の支配下に移して下さいました。だからあなたがイエスの血潮を本当に信じ、塗っているなら、神の裁きは、あなたの家に臨みません。本当ですそれは。14節「この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。」だからこの出来事は、おとぎ話ではないのです。「神様はこの様な歴史の中で、私たちを守って下さったのだよ。門柱にイスラエルの人が小羊の血を塗ったのだよ。そうすると神様がそれを見て過ぎ越されたのですよ。しかし門柱に血を塗っていないエジプト人たちは、皆打たれました。だから子たちよ、イエスの血潮を本当に軽んじてはなりません。」だからそれは代々限りなく私たちの子供たちに受け継がせなければならない事です。あなたの家族は主の光で満ちています。ウッドロフ先生が、「主の光で満ちている」と、言った時、その光はイエス・キリストの血潮によって、守られています。イエス・キリストの血潮によって、私たちは許され、義とされ、永遠の者とされているのです。それによってのみ、あなたは災いを免れる事が出来ます。私が何かをしたからではありません。私が何かを出来るからではありません。ただイエス・キリストの血によってのみです。そしてその血が流された事を、皆さん決して忘れないで下さい。その血が流された理由は、あなたの罪の故です。だからこれを本当に感謝して、私たちは覚えなければなりません。これから起こる恐ろしい事、神の裁き、神様はこれを、「神の戦いだ!」と言っています。そしてこの後モーセはイスラエルの長老を集めました。「やばい、そんな事が起きるのですか神様、大変な事です。皆集まって下さい。皆さんよく聞いて下さい。神が今晩、この様にされると言っておられます。だから皆さん、神が命じた様に行いなさい。あなたの家でそれを行って下さい。」と、モーセは長老たちに言いました。イスラエルの民は、急な神様の命令に、どの様に従ったのですか?「すみません、今煮込んでいるので、もう少し待ってもらえますか?」なんて、ありえませんでした。「すみません、ちょっと仕事が忙しくて、まだ主人帰って来てないです。」も、ありえませんでした。「神様がこう語っています。皆さん来て下さい。」「はい。」皆、集まりました。そして父親に言いました。今から言う事を、このように子供たちに命じなさい。同じようにしなさい。これから語る事を注意深く聞いて、それを行いましょう!」彼らは、モーセの所に集まって来て、聞きました。「はい、分かりました!」「じゃあ皆家に帰ってそうしましょう!」彼らは小羊を用意しました。彼らはその日が来る事を、「本当に恐ろしい、神様の裁きが来る!」でも彼らは守られました。なぜですか?彼らは神の指示に、聞いて行ったからです。「神様はこうされます。だから皆さんこうして下さい。」と言った時に、彼らが免れた一つは、彼らは聞いて従ったからです。それだけです。それ以上のものはありません。神の命に聞いて、従ったか、従ってないかだけです。私たちは従う民です。29節「夜中になって主はエジプトの国の、すべてのういご、すなわち位に座するパロのういごから、 地下のひとやにおる捕虜のういごにいたるまで、また、すべての家畜のういごを撃たれた。」真夜中に神は撃たれました。30節「それでパロとその家来およびエジプトびとはみな夜のうちに起きあがり、エジプトに大いなる叫びがあった。死人のない家がなかったからである。」31節「そこでパロは夜のうちにモーセとアロンを呼び寄せて言った。『あなたがたとイスラエルの人々は立って、わたしの民の中から出て行くがよい。そしてあなたがたの言うように、行って主に仕えなさい。」パロは頑なでした。最後まで動きませんでした。しかし、全てのういご、又、パロの愛するういご、エジプトに大いなる叫びがありました。打たれなかった者は一人もいませんでした。でも皆さん、ゴセンの地にいるイスラエルの家にだけは、全く災いが起きなかったのです。それは、全ての十の災いに於いてもです。素晴らしい事です。普通に考えたら、そんな事は無い事です。ここから長いイスラエルの旅路が始まります。彼らはやっと、エジプトから解放されました。私たちは旅を続けています。私たちは神様の目的の完了、完成へと旅をしています。ウッドロフ先生は、こうおっしゃったのです、私たちを一つにするのは何だと思いますか?信仰?もちろんそうでしょう。私たちが愛し合う事、もちろんそうでしょう。でも私たちを一つにするのは、完成という一つの目的、その使命、その目的の中で集められた民、それが神様から来る使徒的恵みの早さ、受容力、正確さを決定すると言っています。私たちの心の中に、常に「完成」という、その思いがなければならないです。私たちは今、普通の人のように地上を歩いていてはいけないと、ウッドロフ先生は言っています。私たちは次のステップアップ、次のレベルへと行く為に、私たちは今必要なものがあります。私たちを一つにするものは完成です。神様はこの地上を終わりへと導かれています。その中で私たち集められた一つの群れは、完成へと今向かっています。その旅路です、まだ旅の途中です。

ですから皆さん、久松長老が作ってくれた、「最後の成熟を追跡する」のテキストを、何度も読みかえして、4つの執行事項を私たちは行ってまいりましょう。

イザヤ書2章2節の現実が、今本当に起きています。「終りの日に主の家の山は、もろもろの峰よりも高くそびえ立つ。」強大で力強く偉大な教会を、それは現わしているのです。それはあなたです。それは強大なものであり、力強く偉大な教会でなければならないのです。神様はその構造を私たちに見せて下さっています。ですから私たちは、この最後の成熟の執行事項を完成へと目ざす為に、歩みを止めてはなりません。この世のシステム、政治、経済、教育、その他全てが今、破壊されています。何ともろいのですか人間は。あなたが今、大丈夫だと思っているものですら、全部今、破壊されています。それでも人々は何とか自分の力で、人間の力で乗り切ろうと考えています。でも私たちは、その様なものよりも高くそびえ立ち、全ての国々が、コングレスですそれは、神が用意して下さった一軍の群れの教会へと、今流れて来ています。人々が衰弱していく中、私たちは成熟していきます。真反対ですそれは。真逆の事をしています私たちは。一軍の群れと今集められて、より私たちは清められていく必要があります。より謙遜さが必要です。より鮮明な視野が必要です。私たちは強大でなければいけないからです。なぜなら私たちを見て、全ての国々が逆流して来るのです。山から流れて来る川が逆流する事はありえせん。でも聖書はそう言っています。それは全てのものが流れて来る。上に流れて来る事はありえないのです。常識的に。でも皆押し寄せて、「ああ、私たちは本当にもう手におえない、どうしたらいいのですか?」私たちのこの一軍の群れ、コングレスが、本当に成熟していなければいけません。それは私であり、あなたです。皆さん成熟しましょう。完了をいつも思っていて下さい。キリストの身体を常に、毎日毎日思っていて下さい。「キリストの血が、私の家の戸に塗られています。私の家は主の光で満ちています!」と、宣言して下さい。あなたの家族の中で、兄弟同士で、皆さんこれは神様の指示です。木村先生がおっしゃる時、私たちはそのようにして下さい。家の中で、あなたのプライドを捨てて、「わたしの家は、主の光で満ちています!」私たちは今、何をしよう?神様に守られている事を感謝しよう!妻と子供たちと向き合って下さい。神の指示が来る時、私たちは必ず行いましょう。聞いて、従ったかが問題です。最後にウッドロフ先生からの手紙を、皆さんとお読みしたいと思います。

「ノエル・ウッドロフ師より、なぜなら、やって来た事はエジプト人であろうがユダヤ人であろうが気にしなかったからです。それが気にしていた事は、あなたは指示を聞いて、それに従ったかどうかでした。あなたは指示を受け入れ、それを実行したか?ですから、私たちは、「危機がやって来る時、神は地上にいる人を裁かれているだけでなく、もろもろの天の権力の力を砕かれている」と言う事ができます。それが今起こっている事です。そして、それは私たちの為に好機の日を造ります。」皆さん、エジプトが打たれています。今、この世が打たれています。しかし私たちは、神がもろもろの天の権力の力を砕かれているという事を、私たちは霊的な視野で見て、そして今私たちはチャンスの日だと言われています。「神はその民の安全の為に明確な指示を与え、危機の中で保証を約束しておられる。私がエジプトを打つ時、破壊的な災いはあなたに触れない。」と言うことができます。皆さん、「破壊的な災いは私たちに臨む事はありません!」告白して下さい皆さん、信仰の告白です。「災いは私の家に、あなたの家には臨みません!」その告白一つで、私たちは主が共におられ、守られている事を実感し、霊の中でそれをつかむ事が出来ます。「免疫を自分のものだと主張して下さい。」と、この後も言っています。「免疫はあなたにあると主張しなさい。」と言っています。この免疫という言葉は、読んで字のごとく、病気から免れるという事です。免疫ということは、それは異物が入って来る時、抵抗する機能です。その免疫力があればある程、病気になりにくい。私たちにとって免疫というもの、それは「信仰」があります。神への信頼、信仰を今、本当に私たちは告白する時です。「私たちには免疫があります!」それを主張して下さい。私の家で、あなたの家で。そして次のレベルへと、私たちは昇って行きましょう。神様が次になされる事を期待して。ピンチはチャンスです。私たちは今チャンスです。神様の言葉によって強められて下さい。あなたを強くして下さるのは、あなたではありません。夫でもありません。私たちを強くして下さる御方は、神御自身です。神の言葉です。ですから私たちは神様の言葉により信頼して、衰退する事なく、恐れる事なく、前進して参りましょう。私たちは「完成」という目的の中で、今日も主が守って下さっている事を、本当に心から感謝しましょう。免疫はあなたのものです!

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