今回、クライストチャーチの素晴らしい聖会にお招きいただき、本当に心から感謝いたします。私にとって、久松先生ご夫妻、そして木村先生や、また他のスタッフの先生方、いつも月報を送っていただいているのですけれども、本当によくしていらっしゃるなと、家内といつも覚えております。以前、寿藤先生の息子さんが、具合が悪いということをお聞きしまして、早天で祈ったことがあります。いろんな恵みがありますけれども、愛がある教会だなと感じました。建物が立派で有名な教会もあります。それも悪いことではありません。以前、久松先生とアメリカの「ガラスの教会」と言われるロバートシューラ―先生の教会へ行きました。すごく立派で、劇場みたいな感じでしたけれども、今は聞くところによると、もうそこは礼拝堂としては使われていないとお聞きしました。その当時は、それで用いられたのですから、神様がそれを良しとされたのだと思い、私は、それは悪いことではなかったと思っています。教会が大きいということや、いろんなことで有名になることは素晴らしいけれど、一番素晴らしいのは「愛」で有名になることだと思います。イエス様は、「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。」と言われました。最大の伝道、最大の宣教、それは、愛、充満です。私は、クライストチャーチの発展の一つの要因を見させていただき、お互いに仕え合い、愛し合っている姿を拝見して、本当に感謝しております。
今日は、「一つの身体」というテーマをいただいて、祈って、神様がこの小さいしもべですけれども、必要な言葉を語ってくださればと思います。「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」これは、愛媛の教会の献堂式の時に、私が恵みで立たせていただいた時に、この御言葉を語らせていただいたことを記憶しております。「こうしてクライストチャーチは、倉敷、岡山、愛媛の全地に渡り、築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が増えて、京阪奈にも教会が起こされた。」先日、京阪奈の教会に招いていただいて、私は、「アメージング!本当に神様は素晴らしい!」と思いました。というのは、私が21歳の時、生駒の方に行った時に、東大阪に遣わされて一年間そこにいたのですけれども、22歳の時だったと思います、飯島兄弟とお会いしました。そして私は京阪奈で、またもやお会いして、その時パッと、「あっ、あの時の飯島兄弟!確か近大付属高校に行っていて、学生服は黒の金ボタンではなくて、ちょっと紺色がかった制服だった。確かそうでしたよね?記憶違いかもしれないけれど。」と、聞いてみたら、「そうです!」と、言ってくださったのです。認知症ではなかったのです。いつも月報を頂いているので、見ながら想像して、「京阪奈ってどんな所だろうかな?」昔、私はよくあの辺を車で巡るのが好きでしたから、行っていましたけれども、町がだいぶ変わっていました。そして教会を想像して行ったのですけれども、私の想像を上回っていました。愛媛の時もそうでした。想像して行ったのですが、上回っていました。何よりも素晴らしかったのは、そこに神様の恵みがあったのです。教会というのは、「エクレシア」。神様が召してくださった集まりです。私は最初、イエス様を選んだと思っていました。もちろん、自分の意志をもって信仰を持ったのですが、でも、聖書は、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そしてあなたがたを立てた。それはあなたがたが行って、神様の栄光をあらわすために神様が召してくださったのです。」倉敷から始まって、岡山、そして愛媛、京阪奈。これからもっと、いろんな所にイエス様を必要としている人々がいらっしゃると思います。私はそれを信じています。そして、私の親しい先生方が、こうして祝福されるのは、私にとっても喜びです。ある面で誇りでもあるし、感謝です。神様は素晴らしいことをしてくださる。でも、これからもさらに素晴らしいことを、教会に対しても、家庭に対しても、個人に対しても、神様は良いことをしてくださるのです。
今日、身体の一致ということで、私は二つの教会を訪問したいと思います。かつて、アメリカの成長している教会、韓国の教会、タイにも行きました。いろんな所に行きました。素晴らしいです。でも、聖書の中に私たちがモデルとする教会がたくさんあるのです。そしてそこを訪問するのにお金は要らないのです。飛行機に乗らなくても大丈夫です。自由に訪問することができるのです。最初、エルサレムで120名の人たちが、「ペンテコステの日」に主の約束を信じて、待ち望んでいました。聖霊を頂いて、そしてそこから教会が誕生しました。「そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そしてさらに地の果てまで、わたしの証人となる。」主の御言葉のとおりに、教会は、その働きを見ると、どんどんと成長していったのです。わずか30年で、当時のローマ帝国の首都であったローマにまで福音が宣べ伝えられた、と言われています。今日神様は、この日本に対しても、神様の計画があります。そしてその一端を、私たちは担わせていただいています。クライストチャーチの使命は本当に大きい、と私は思います。本当に神様が皆さんを選ばれたのです。
一つ目の訪問する教会は、アンテオケ教会です。エルサレムにいた時は、ユダヤ人たちの集まりでした。ユダヤ人たちが一つの身体になって、持ち物を分け合い、悩みも喜びも共有の、愛の共同体でした。しかしそこに迫害が加わったのです。そしてその結果として、いろんな地域に散らばっていったのです。でも神様は、迫害という方法を当時用いて、福音を広めていったのです。そしてアンテオケにまで福音が伝わりました。そこには異邦人もたくさん住んでいたのです。聖書を一箇所開きたいと思います。
使徒行伝11章22節~24節「この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。」ここに、一つ目の訪問教会、アンテオケ教会のことが記されています。福音が伝わっていった時、主の御手があったので、たくさんの人々がイエス様を信じて救われたのです。そうした時に、必要が起こったので、そこに正しいリーダー、バルナバという方を神様は遣わされました。バルナバ先生がそこに着いた時に、そこには神さまの恵みがあったのです。恵みを見たのです。何を見たのでしょうか?私たち教会は、異端は別ですけれども、一つです。神様はサウロを救い出して、パウロに13の手紙を書かされました。パウロ書簡の特徴は、主に二つの言葉で強調されていると言われています。一つは、「in Christ キリストにあって」という言葉がたくさん出てくるのです。私たちが一つの身体になるという時に、まず、一番大切なのは、頭なるキリストとの一体です。キリストと私たちが一つとなることです。キリストにあって、私は何々である。私は弱い、けれどもキリストにあって強い。この前の月報で、山田先生が、「弱さを誇る」というメッセージをされているのを読みました。本当に恵まれました。私たちは弱いけれども強いのです。なぜならばキリストにあって、私たちは汚れていた者であるけれども、聖い者なのです。キリストにあって聖いのです。私は愚かな者でも、キリストにあって賢い者だと、信仰によって言うことができるのです。
私たちの一つの身体は、頭なるキリストとつながることです。鎖の強さというのは、一つ一つの輪の強さです。まず、しっかりと、一人一人がキリストにつながる。倉敷の教会も、岡山も、愛媛も、京阪奈も一つですけれども、その一つは、まずは一人一人が、主との交わり、主とのつながりをしっかりと持つことです。そして、パウロ書簡のもう一つの特徴は、「each other互いに」ということです。互いに、何々しなさい。互いに愛し合いなさい。皆さん、ちょっと目を閉じていただいて、50㎝の幅に手を広げていただけますか?他の人を見ないでですよ。私が見たところ、広い人もいるし、ちょっと狭い人もいます。そのまま目を開けて周りを見てください。皆さん、私たちが考える50㎝は、それぞれ若干違います。たとえば、海に行って、ここから3㎞歩いてください。それをやったら、相当の差がでますよ。砂袋の10㎏の重さを作ってください。結構な差がでますよ。皆さん、イエス様が、「互いに何々しなさい」とおっしゃった時に、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」「わたしが仕えたように、あなたがたも互いに仕え合いなさい。」私たちの互いというのは、自分勝手な違いではないのです。イエス様がしたように、互いに愛し合い、仕え合い、励まし合うのです。そこに、キリストの身体の一致が生まれるのです。皆さんには、もう一致があります。でもさらに、強い一致、キリストにある一致が、さらに高められることを思います。弟子たちはイエス様に直接導かれ、3年半、直接に、薫陶というか、指導というか、受けた方々ばかりです。でも、聖書を見ると、その弟子たちが、「僕の方が偉い。」「あいつよりは俺の方が。」と、言い合っている所が結構あるのです。ある時は、お母さんまで加わって、「天に行ったら、私の息子をイエス様、あなたの右と、左に置いて下さい。」そうしたら、それを聞いた他の人たちが、「何ていうことを言うのだ!」って、争いがあったと書かれています。皆さん、アンテオケの教会というのは、いろんな人たちが、いろんな立場があったのですけれども、一つだったのです。互いに仕え合う所に一致が生まれます。水は低い所に流れていくのです。それは、表面だけでペコペコする。そういうようなことではありません。仕えるというのは、自分が思ったことは、はっきりと言う。でも、「主よ、あなたのへりくだりを教えてください。」それで間違っていたら、速やかに、「ごめんなさい。」言いにくい言葉があると言われています。「ハイ。いいえ。ありがとう。ごめんなさい。」これが言いにくい言葉だと言われています。「生麦、生米、生卵」「隣の客は、よく柿食う客だ」とか、「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」とか。アナウンサーになるためには、そういう言いにくいことを言わせる訓練があるのです。でも、もっと言いにくい言葉が、「はい。いいえ。ありがとう。ごめんなさい。」これが、言いにくい言葉だそうです。
ある時、5本の指が「誰が一番偉いか?」ということで争ったそうです。一番最初に、「誰が偉いかって?それはもう私に決まっているだろう。親指なのだから、一番太いし、俺が一番上なのだ!」そうしたら、人差し指が、「何を言うか!人をいろいろ指図したり、指導したりするのには、どの指を使うのだ?僕を使うじゃないか!人差し指なのだから。」と、言ったそうです。そうしたら中指が、「なんだって、真ん中にいるのは俺だぞ。中央にいるのが一番偉いのだ。指の長さを見てみろ!一番長いのは俺だ。だから一番偉いのは俺だよ!」そうしたら薬指が言ったそうです。「宝石をどの指に付けるのだ?ダイヤでも、結婚指輪でも、一番高価なものを付けるのは僕だよ。だから僕が一番偉いんだよ!」そうしたら、小指が言ったそうです。「一番細かい所に手が届くのは私だよ!」聞いた話ですけれど、野球でもゴルフでも、打つ時に、指を怪我していて一番困る所というのは、小指なのだそうです。そうしたら、神様がおっしゃったそうです。「紙を持って来て、この紙を掴んでみなさい。」そうしたら、小さな紙でも一つの指では掴めなかった。協力し合わなかったら、こんな小さな物でさえ持つことができないのだ、と教えてくれたというお話しがあるのです。皆さん、私たちは互いに違うのです。顔も形も、救われ方も、個性も。まあ、日本の場合は割と、一つの言語で、同じ文化ですけれども、でもこのアンテオケの教会は、いろんな人たちがいたのです。でも、違いがあるけれども、恵みがあったのです。そこには、愛の一致があったのです。建物は立派、でもそこに愛があるのか?牧師を信徒が愛しているか?牧師が本当に信徒のことを思っているか?病の人がいたら、その病の人を本当に思っていらっしゃるか?そこに愛があるのか?身体の一致というのは、お互いの喜びを喜びとし、痛みを、泣く者と共に泣きなさい。また実際的なことでも、エルサレム教会は、助け合っていました。「私たちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」クライストチャーチの今年のテーマの御言葉は、今年だけのものじゃないと思います。本当に私たちの中に、そのような愛が溢れて、そうしたら神様は、そこに素晴らしいことをしてくださるのです。
このアンテオケの教会は、素晴らしい教会でした。パウロの書いた御言葉の中に、こういう御言葉があります。コリント人への第一の手紙12章13節「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」最初はユダヤ人だけだったのです。ユダヤ人というのは、選民意識がものすごく強いのです。「私たちは神から選ばれた民族だ!」でも、パウロを通して、「割礼があっても、なくても問題ではない。大切なのは、愛にあって働く信仰だ!」そして、「あなたがたが負いきれなかった割礼という負い目を負わせるのか。そんな儀式を負わせるのか!」と言ったのです。割礼自体は必要なものなのですけれども、そこに違う人たちがいても、どこの国の人であっても、民族の壁という差別を超えて、奴隷も自由人もない、身分もないのだと言ったのです。
今、ネパールの姉妹が、私たちの教会に時々来るのですけれども、ネパールは、名前で全部、身分が決まっているのです。そして身分が違うと結婚もできないのだそうです。「ええっ!?」と思いますけれども、昔の日本も、士農工商というものがあって、世界の中では、今でもそういう国があるのです。インドも、カースト制度で分かれているのです。貧しい所に生まれたら、もう一生それを負って生きるのです。
ガラテヤ人への手紙3章28節「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」と書いてあるのです。男子も女子もなくというのは、今は当たり前ですけれども、でも昔は、男性と女性の立場というものは、ものすごく差があったのです。でも福音が入った時、男子も女子もなくなったのです。キリストにあって一つなのです。
コロサイ人への手紙3章11節「そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」未開人といったら、文化とか技術とかが、これから進んでいく地域です。対照的に見ると、文脈からいくと、スクテヤというのはどういう意味かわかりませんけれど、先進国のように見えます。キリストにあって、そういう壁は全部取り払われたのです。イエス様が十字架で血を流されて、「すべてが完了した。」と言った時に、神殿の幕が上から真二つに裂けた。私たちはキリストにあって一つとされて、自由になったので、もうそういうものは関係ないのです。社長さんがいていいのです。教会に大学の先生がいていいのです。以前、ペンテコステ大会に、ブルックリン・タバナクルの先生が御用に来てくださいました。このブルックリン・タバナクルというのは、ゴスペルですごい賞を何度も取ったという有名な所です。そこの先生が、「私たちの教会は、ニューヨークのブルックリンという地域にあります。」このブルックリンというのは、世界的な金持ち、芸能人、デザイナーとか、そういう世の中的に言ったら、身分の高い人たちがいっぱいいるのです。そこにいた時に、ちょうど松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースにいた時に、抑えのピッチャー(マリアノ・リベラ)がいて、その人はクリスチャンで、辞めたら宣教師になると言っていましたけれど、今どうなっているかはわかりません。その教会はホームレスとか、この世で捨てられたような人たちもいる地域なのです。ある時一人の人が、いろんな覚醒剤とか、泥酔して反吐(へど)を吐いたような人がいて、「イエス様を信じますか?」と言った時に、(前に)出てきたそうです。その時その先生は、新調した背広を着ていたそうです。そして近づいてきた時に、「ちょっと待って!このまま私の所へ来てもらったら困る。」でも、主が語られたそうです。「イエス様だったら、どうされましたか?」悔い改めて、「主よ!」そして、その兄弟を抱擁して、そうしたらその人が信じて、後に素晴らしい牧師になって、今、用いられているそうです。「愛」なのです。同じようにしなさいとは言いません。また、そうでないからといって裁くこともしません。でも私たちは、ユダヤ人もギリシャ人も、日本人も韓国人も、黒人も白人も、キリストにあって一つなのです。身分が社長さんもいれば、そうでない方もいるかもしれない。でも一つなのです。
今度は地方教会、一つの身体としての一致、マケドニヤ教会を訪問したいと思います。マケドニヤ教会は、使徒行伝の中に出てきます。パウロが、アジアの方に行くべきか、ヨーロッパの方に行くべきか?祈っていた時に、主は一人の人の幻を見せられたのです。マケドニヤにいる一人の男の人が、「私たちを助けてください!私を救ってください!」という幻が見えたのです。そしてパウロは、「あっ、これは聖霊様の促しだ!」と言って、マケドニヤに行ったのです。久松先生が大阪にいた時に、「主よ、どこに行くべきですか?」と祈った時に、神様が、「倉敷に行きなさい!」そして、奥様と一緒に倉敷に行ったのです。神様は、倉敷に久松先生を遣わして、神様の業を起こそうと計画しておられたのです。パウロがマケドニヤに行った時に、素晴らしい働きが起こり始めました。最初、ルディアという婦人が、祈り場に行っていた時に福音が伝わり、そして今度は、有名な使徒行伝16章、パウロとシラスが捕らえられた時、真夜中に彼らは神に祈りと賛美を捧げていました。どんな賛美をしていたのかというと、ある先生は言いました。「イエス様は良いことされる、良いことされる。」という歌を歌っていたのです。「神様は良いお方だ。神様はいつも、どんな困難の中にあっても、良いお方だ!」私もそう信じます。ですから私もどんな困難があっても、「神様、良いことされる、良いことされる。」と、車の中でも歌うのです。使徒行伝を見ると、「すると突然」という言葉がいくつも出てきます。大地震が起こって、そして獄の扉が開いて解放されたのです。そうした時にその獄屋番は、「こんな事が起こって、私が責任を取らせられる。もうこれは自害するしかない!」と言って、自害しようとした時に、「自害してはいけない!私たちはここにいる。」そして獄屋番が救われたのです。それから獄屋番は家族ぐるみで、パウロとシラスを招いて、そしてこのマケドニヤに福音が伝わりました。すなわちピリピの教会です。皆さん、マケドニヤ地方の教会というのは、聖書を調べたら3つあります。他にもいっぱいあったと思いますけれど、ピリピの教会、テサロニケの教会、べレアの教会、これがマケドニヤ地方にあった教会です。このマケドニヤの教会のことをパウロ先生は、「マケドニヤにある恵みよ!」と言って、いろんな所で証をしているのです。ピリピの教会というのは、どんな教会だったのでしょうか?一言では言えませんが、ピリピの教会というのは、「喜びの教会」なのです。喜び充満なのです。ピリピ書に9つの喜びが出ています。1章4節「祈る喜び」2章2節「一致の喜び」1章25節「信仰が成長する喜び」1章18節「福音が伝達される喜び」2章17節~18節「殉教する喜び」2章28節~29節「互いに交わる喜び」3章1節、これが素晴らしい、「主にある喜び」私たちは何がなくても主にあって喜ぶことができるのです。そして、4章4節「最後に言う、もう一度言う」、「主にある喜び」4章1節「愛する兄弟姉妹がいる喜び」そして、4章17~18節「霊的果実」霊的に祝福される。霊的に実を結ぶ。霊的に成長していく。ピリピの教会というのは、喜びの教会だったのです。
そしてテサロニケの教会、代表的な御言葉でテサロニケの教会を紹介したいと思います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」と、聖書に書かれています。私は、自分は全然できていないけれども、一つのモットーは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」これと、「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」。ある時祈っていたら、神様が善意ということを示してくださいました。それから私は人に対しても、いろんな自分に起こってくる出来事、良いことも、悪いことも含めて、善意に取るようにしました。神様は良い神様だから、決して悪く取らない。どんな時でも、出来ていないけれども、善意に取る。そしていつも喜ぶ。皆さん、私たちは、過去と現在と未来という時系列の中に、私たちの人生はあるのです。過去のことは、もう戻れません。あの時こうしておけばよかった。あの時もうちょっと勉強しておけばよかった。あの時あんなことをしなければよかった。過去は戻れません。過去の出来事や、それ自体は変えられないけれども、過去に対する態度は変えることができるのです。聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」京阪奈でも言いましたけれども、すべての事というのは、全部です。ことごとくです。あらゆる事です。それが、すべてという意味ですから、「こんな事、感謝できない!」でも、キリスト・イエスにあって、それをすることができるのです。過去の事も全部イエス様に持って行くのです。「イエス様、これ、お願いします!」重荷が来たら、「イエス様、お願いします!」そうして、今度は、「イエス様!」と言って、力を頂くのです。「一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」と、書いています。いつまでもその事で悩んだり、その事に捕らえられて、神様はそんなことを望んでおられないです。仮に何かがあったとしても、それをプラスにしてくださるのが神様です。ダビデは言いました。「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」皆さん、いろんな事で苦しんだことは、かえって人生長い目で見たら、その場では全然喜べないですけれども、長い目で見たら益になるのです。神様は良い神様です。ですから過去に対しては、私はすべての事を感謝する。現在に対しては、「いつも喜んでいなさい。」だから、喜ぶのです。主にあって喜ぶのです。「繰り返して言うが、喜びなさい。」ピリピの教会、マケドニヤの最大都市であったピリピ、最初にそのマケドニヤに福音が伝わった時、その福音は、喜びの福音だったのです。パウロとシラスは、もう最悪の状態の中にあっても喜んだのです。そのDNAが、獄屋番に入ったのです。文化というのは、第二の胎教だと言われています。お母さんが平安なことをしていたら、子供も平安を受けるので、良い音楽とか、良いイメージとか、胎教をするのが大切だとよく言われます。教会に喜びの文化があったら、生まれてくる子供たちも、それに大きく影響されるのです。クライストチャーチは「喜びの教会」です。クライストチャーチは「愛の教会」です。クライストチャーチは「信仰の教会」です。御言葉中心です。祈り中心です。十字架中心です。宣教中心です。聖霊中心です。そのような文化が、次に伝わっていくのです。パウロが伝えたマケドニヤの福音は、ピリピに、テサロニケに入りました。マケドニヤ地方というのは、その当時、ものすごく貧しくて、いろんな困難があったのです。しかし彼らの施す富は、溢れ出て洪水となったと、ある先生は言いました。それは、エルサレム教会を助けるための捧げもののことだけを言っているのではないのです。もうあらゆることで、その恵みがあったのです。アンテオケ教会にも恵みがあったのです。そこで彼らはクリスチャンと呼ばれるようになったのです。
過去に対しては感謝する。現在は喜ぶ。未来はまだ来ていませんけれども、祈ることができます。必要があったら祈るのです。私の最初の祈りは、「神様、給料を上げてください!」私が入社した当時の私の給料は、18,500円だったのです。祈りは何でも聞かれると言われるので、私は単純に、「神様、給料を上げてください。」そうしたら、会社が全部スイス資本になったのです。そして給料が一気に25,000円になったのです。そして、土曜日がその当時、月に一度だけ休みだということで、その会社を選んだのですけれども、祈った後、土曜日が全部休みになったのです。そして8時30分出勤が、9時になったのです。そして日本の祭日だけではなくて、スイスの国の記念日、そしてクリスマス、これも休みになったのです。「祈りってすごいなあ!祈りって聞かれるのだなあ!」でも、神様は、赤ちゃんの時には、全部親がやってくれるように、してくれるのです。その後は、なかなか祈ってもすぐには聞かれないものもあります。だけども諦めない。チョー・ヨンギ先生が言うことには、「良い猟犬は一度噛みついたら絶対に放さない」と。
今、統一教会の人の脱会にかかわっています。もう13年ぐらいになります。最初の頃は3か月に1回ぐらい、(通うのに)1時間30分ぐらいかかるのです、往復3時間。そしてこの前、統一教会の問題がクローズアップされた時に、これはどうしても行く必要があると思って、その統一教会の家族の人と話して、4時間。しかもその人は、ご主人の仕事の関係上、土曜日しか休みが取れず、聖日(主日礼拝)前ですが、行きました。私は一度噛みついたら、絶対に彼らは救われると信じて、そしてそのお母さん、もうお婆ちゃんになるのですけれど。その方が、もう本当に、どんなに苦しんだかということを、よくわかっています。皆さん、将来のためには祈る。ぜひ祈ってください。そのようにして、過去は感謝する。現在は喜ぶ。将来は祈るのです。皆さん、聞いた事があるかもしれませんが、ここに、私がすごく参考にしている祈りがあるのです。それは、「ニーバーの祈り」という祈りです。これはアメリカの、第二次世界大戦のちょっと前頃に、もう亡くなられましたが、アメリカの牧師で、神学者だったニーバーという方がいたのです。この方が祈った祈りを、マッカーサー元帥が、「これはすごくアメリカの兵隊にとって必要な祈りだ!」ということで、全アメリカ兵にこの祈りを配ったそうです。どんな祈りかというと、「神よ、変えることのできない事柄については、それをそのまま受け入れる冷静さを与えてください。」変えられないものがあります。自分は日本人に生まれてきた。自分はこんな親の元に生まれてきた。私は女として生まれた。変えられないものがあります。私たちは受け入れるしかないのです。「この時代に生まれて来ないで、戦国時代に生まれて来たらもっとよかった。」変えられないです、そんなことは。「変えられないものは、そのまま受け入れる冷静さを与えてください。」「変えることのできる事柄については、それを変える勇気を与えてください。」「そしてこの二つの違いを見定める英知を私にお与えください。」私たちが本当に変えられないものをいつまでも思い煩うのではなくて、態度を変えるのです。態度は変えられるのです。「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する。」このマケドニヤの教会のDNAが、やがて、さらに、それからどんどんと福音が伝わっていったのです。
クライストチャーチにある恵みを、私は見ています。昨日も、私は久松先生に、メモリアルのお墓の所に連れていってもらいました。ものすごく立派な納骨堂で、びっくりしました。写真は前にも見せてもらっていましたが。教会のすぐ上に、あんなに素晴らしい納骨堂がある。恵みがありますね、このクライストチャーチには。いくつもあります。でも、神様はさらに、神様の恵みを注がれると信じます。少なくとも私はそのように、祈らさせていただきます。義人先生の奥様が、具合が悪いとお聞きした時、「クライストチャーチの一人の牧師夫人が」と言って、早天で祈らさせていただきました。お会いしたら、元気になっていると聞いて、すごく嬉しかったです。なぜならば、キリストにあって一つの身体だからです。場所は違うけれども、私たちはそれぞれ置かれた所で、それぞれの働きをしているのです。ネヘミヤ記を見たら、「城壁を再建する時に、それぞれの自分の家の前の所を修復した。」と書いてあります。私は春日井、その近くの所での主に働きですから。そこを、微力ですけれども、しているのです。「ビジョンは大きく、働きはコツコツと」それが私のモットーです。コロナになった時に、「何かしよう!」それで小さなホームページを作っていました。「ホームページにブログを書こう!」ということで、2019年のコロナが出たあたりから、ブログを書き始めて、日曜日は休むけれども、書き進めています。アンテオケ教会で、彼らはクリスチャンと呼ばれるようになりました。それで私はある時、「日本のクリスチャンの先輩たちには、どんな人たちがいるのだろうか?」と思って、いろんな伝記とか、いろんなものを調べ始めて、そしてそれを読んでくれる人は少ないのですけれども、書きました。へブル人への手紙12章1節には、「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、」皆さん、私たちは、肢体は多くあるけれども、身体は一つです。先に召された人たちも含めて、身体は一つです。私たちは、私たちだけではないのです。昔、営業職で勤めていた時、時間がある時には、私はよく霊園に行って聖書を開きました。霊園の中で、クリスチャンのお墓を見つけるのが、すごく好きでした。名前はわからないけれども、「わたしたちの国籍は天にある。」「わたしはよみがえりであり、命である。」とか、そういう所に行って、「名前は知らないけれども、召されたのだな。」そういう風に思ったことがよくありました。神様はたくさんの先人たちを送ってくださったのです。岡山には、大原美術館というものがあります。大原孫三郎という人がクリスチャンだったということを御存知だったでしょうか?また、岡山四聖人という人を知っていますか?石井十字、留岡幸助…そういう先人たちの信仰を、たくさん書きました。もう本当に、調べたら面白いというか、素晴らしいというか、アブラハム・リンカーン、マルチン・ルター、リビングストン、バックストン、ヘンデル、林文雄(日本のライ病の先駆者)です。この人がいたから、ライ病のいろんな施設ができたのです。カーネギ―、ヨハンナ・シュピリ(アルプスの少女の作者)、東京女子大を創った(新渡戸稲造)とか、笹尾鉄三郎、ジョージ・ミューラー、ダミアン神父、サンダー・シングとか、そういう人たちをたくさん調べました。そして、「雨にも負けず、風にも負けず」という宮沢賢治のモデルになった人も、クリスチャンだったそうです。斎藤宗次郎という方ですけれど、その人が戦争を反対したゆえに、東北の方で教師をしておられたのですが、クビになったのです。彼は新聞配達をやり、朝一番に取りに行って、また、夕方の新聞を配るという、それを、雨の日も、風の日も、嵐の時も、暑い日もやっていたのです。それを見た宮沢賢治さんが、「雨にも負けず、風にも負けず、この様な人になりたい!」と言ったのです。私は一昨年、岩手の花巻に行って、宮沢賢治さんの所に行ったら、その斎藤宗次郎さんのことが書かれてありました。そういういろんな所へ行くのが好きなのです。久松先生が、長崎の26聖人の所へ行ったと聞いて、私も行きたいなと思って、行きました。塩狩峠の所へも行ったと聞きましたので、私も行きました。いろんな、そういう先人の信仰を見て、私たちは、一人じゃないのだと覚えて、本当に感謝したいと思います。そして現実に、今生きている者として、互いの兄弟姉妹、倉敷の、岡山の、そして愛媛、京阪奈、もう一つ増えているかもしれませんが、その人たちが、地域は離れているけれども、「寿藤先生を覚えてください!」と祈られて、今日もプレゼントを渡されて、寿藤先生も、それによって励まされたと思います。私も、インタナショナル・チャーチから家族だけで行きましたけれど、何人かの人たちが、「高橋先生!」と言って、ある人はお米を送ってくださったり、それによってものすごく励まされて、「一つだ!」って。身体は一つです。キリストにあって一つです。
最後のメッセージになります。もう一つのメッセージ、それは、家庭です。家庭が一つであること。「あなたの父と母を敬いなさい。」という御言葉があります。この「敬いなさい」という言葉は、「重んじなさい」ヘブル語では「大切にしなさい」「あがめなさい」そういう意味もあります。「あなたの父と母を敬いなさい。」それは、出エジプト記の十戒が与えられた時から始まっただけではなくて、レビ記にも、民数記にも、いろんな所でメッセージがなされ、新約聖書にもそのことが語られています。レビ記の所では、その対象は、年老いた父母、たとえ認知症になっても、「あなたの父と母を敬いなさい。」「元気な時のお父さん、お母さんだったら尊敬するけれど、もう仕事もやっていないし、家でゴロゴロしているから、こんな親父、尊敬できないわ。こんな母親は…」そうじゃないのです。私たちは、「父と母を敬いなさい。」家庭は身体です。身体は一つであることが、実は、幸いの源の一つの大切な条件なのです。第一ボタンをかけ間違えると、第二、第三、第四と、最後は狂ってくるのです。人間関係の最初は親との関係です。あなたのお父さん、お母さんは、完璧ではありません。私なんか、全然完璧じゃないです。そして若い時、「もっと子供たちにこうしてあげたらよかった。こんな風にできたらよかった。」いっぱいあります。でも、「あなたの父と母を敬いなさい。」私の父と母は、もういません。イエス様を信じて天国へ行ったから感謝ですけれど。でも、その死んだお父さん、お母さんであっても、「あなたの父と母を敬いなさい。」「夫は妻を愛しなさい。」「妻は夫に従いなさい。」「愛し合いなさい。」ということなのです。今、私たちの教会での祈りの課題は、家族ぐるみの救いです。あのマケドニヤの教会で、獄屋番が救われた時、家族ぐるみで救われました。コルネリオの祈りを聞かれて、家族ぐるみで、親族ぐるみで救われました。福音書では、個人的な救いですけれど、使徒行伝を読むと、家族、親族、その地域を含めて救いがなされています。皆さん、是非、皆さんの家庭が、本当に神様にあって素晴らしい家庭になるように。私はそのことを最後に、「身体の一致」、「身体は一つ」ということで、お父さん、お母さんを心から尊敬し、また親も、子供を良い目で見ていただきたい。必ずそのようになるのだという信仰ですから。絶対、お互い同士が諦めたりしないで、支え合っていっていただきたいと思います。
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